【B11-②】 根 北 峠 → 斜 里 岳 肩  

踏査報告書

踏査地図
 

平成19年 5月 4日(金)
リーダー:中村喜吉 サブリーダー:漆崎隆
     鶴岡節子 吉澤宣哉
サポーター:漆崎裕子
天候晴れ 風無し 気温18度
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 計画は、国道ニ四四号線「根北峠(490m)」から斜里岳分岐(1470m)を経てサマッケヌプリ(1062.5m)、標津岳(1061m)、養老牛岳(846.7m)と辿り、摩周湖北部 道々一五0号線「清里峠(440m)」までの三三.九八キロメートル。

 ニ日夜は網走山岳会土屋会長の山小屋に泊まり、土屋会長と「知床の山と沢」の著者伊藤正博氏の出迎えを受け、貴重な知床情報を頂く。

 三日は両峠の下見などして、四日五時、漆崎裕子に見送られ出発。斜里岳東側の台地をスキーで進み、高度八百メートルから尾根に取り付く。
途中挨拶を交わした三名のパーティーは、「分水嶺踏査計画」をよくご存知で、恐縮するほど敬意を払われた。

天気は上々だが気温は二十度近くあり、縦走装備はかなりこたえる。雪は完全に腐れており、斜度が増すにつれ直登するスキーのシールがスリップして困った。
狭い尾根の這い松横を踏み出すと、中村のショートスキーが沈みだした。ハッキリと後部が十センチも二十センチも穴になる。先頭を代わったが目前には斜里岳複数頂点の一つ一四五ニメートルピークがグングン近づいてくる。南東に面した斜面は大きく二等辺三角形に岩肌が露出しており、遠目にもその中心線が分水嶺なことは分かった。
先行するパーティーは、早い段階でスキーをデポしアイゼンをつけ、露出した岩肌を避けて底辺を左にトラバースしてから雪上を直登していた。私達も同様のコースをとり、中村だけが分水嶺を登ってもらうことにした。漆崎も意欲満々だったが、鶴岡に「一緒に来てよ!・・・」の一言で諦めた。
 トラバースまでは良かったが、キックステップで直登しだし、斜度がかぶって雪が浅く、潅木を手がかりに登りだすとペースがガクッ!と落ちた。三十メートルほど右手の少し上に中村の姿が見える。どうも、縦走装備のザックにスキーを背負っている我々と、デポしているパーティーの差は歴然となってきた。
計画では午前中に斜里岳をクリアする予定だったが、千四百五十二メートルピークに着いたのは十二時だった。
 ここからは斜里岳本峰の姿が素晴しくよく見えた。疲労ぎみの鶴岡を残して三人で斜里岳分岐へ向かった。分水嶺を忠実に辿った中村の話では、「岩壁がハングしていて大変だった」そうだ。
雪庇の張り出た分岐を踏んだあたりで、中村リーダーから「これからの行程を検討して、引き返しを決めた」と告げられた。
下山後、屈斜路湖畔の露天風呂で、C1で飲む予定の焼酎を飲みながら、今回の失敗について話し合った。色々話し合った。・・・暫くの沈黙の後でリーダーの中村が言った言葉を記しておく。真っ暗だったので表情は分からなかったが、説得力があった。
「登山は事前の知識と体力が大切だけれど、何よりもその山に挑戦する精神力が必要だ。その精神力がないと、知識も体力も引き出すことはできない・・・」
(記 吉澤 宣哉)

① 斜里岳肩からの分水嶺


② 斜里岳肩

③ 下山

④ 三国山班と記念撮影