洞爺湖有珠火山マイスターネットワーク・川南恵美子事務局長が講演

⑫ 火山活動

              2025年7月11日、洞爺湖町文化センター

「有珠山と共に生きる~火山との共生が教えてくれたこと~」

 20~30年周期で噴火を繰り返してきた有珠山をめぐる地元・洞爺湖温泉、住民・行政の「防災」「減災」の取り組みを知ることを狙いに、2000年噴火で被災体験を持つNPO法人洞爺湖有珠火山マイスターネットワークの川南(かわみなみ)恵美子事務局長=壮瞥(そうべつ)町=に講演していただいた。直近の噴火から25年の節目に合わせて、北海道支部60周年を記念した「交流集会」(7月11日~12日、記念講演と交流登山、96人参加)の記念行事として企画した。

実体験に基づいて講演する川南恵美子さん

 川南さんは、有珠山山麓、洞爺湖温泉の壮瞥町側で、ご主人の実家でもある温泉旅館を夫婦で経営している。2000年3月31日、有珠山西側の温泉街裏で噴火、急遽、宿泊客や従業員を避難させた上で、宿泊予約者への事情説明と宿泊キャンセルの連絡し、その後家族での4カ月間の避難生活を体験。2008年、生きた火山と被災の歴史を語り継ぐ「火山マイスター制度」が始まると、翌09年にマイスター2期生となり、その後今日までマイスターの取りまとめを担ってきた。

 川南さんは、噴火を繰り返してきた活火山と近接して生活圏がある洞爺湖温泉の地理特性を概説。そのうえで「三松正夫(1888年~1977年)という先人が始めた火山を敵とせず、共生する姿勢が私たち火山マイスターに受け継がれてきたDNA」として、人的被害がゼロだった2000年噴火時の被災と避難を実体験を交えて紹介。この噴火が契機となり生まれた火山マイスター制度について解説した。

 さらに「火山の国に住む以上、私たちはもっと火山のことを知るべき」「火山マイスターとして日常の活動を通じていち早く山の変化に気づき、研究者らに伝えることが我々の役割」とも言及した。

★20世紀以降の有珠山の噴火の歴史★

■1910年(明治43年)噴火➡洞爺湖温泉と明治新山(四十三(よそみ)山)誕生

■1943年(昭和18年)~45年(同20年)➡昭和新山誕生

■1977年(昭和52年)~78年(同53年)➡有珠新山誕生

■2000年(平成12年)➡西山山麓・金比羅山で多数の火口が生成